松阪
江戸に多きもの 伊勢屋、稲荷に犬の糞
松阪もめん(松阪市)

安南(現ベトナム)から渡ってきた柳条布をもとに松阪の女たちの高い美意識と技術とで洗練されてきた「松阪木綿」。
正藍染めの糸を使い、洗うほどに深みを増す藍の青さを連ねた縞模様。その斬新な縞模様が粋好みの江戸っ子にもてはやされ、年間の売上五十数万反(当時の江戸の人工の半分)にもおよび、多くの豪商が生まれた。
なかでも『現金掛値なし』の画期的な商法で大成功をおさめたのが三井高利(『越後屋』のちの三越)。
松阪商人は江戸店は手代にまかせ「主は、くににのみおりてあそびけり」といったふうに、故郷で風流を楽しむ粋人も多かったとか。一方江戸では「江戸に多きもの伊勢屋 稲荷に犬の糞」とまでいわれ、江戸の中期には伊勢屋という屋号の店が六百一軒もあったという。
他国の商人からは「近江泥棒、伊勢乞食」などと悪口をたたかれることもあったが、一方で「伊勢っ子正直」だという説もある。いづれにしても、乞食のように爪に灯をとぼす倹約と、正直一途の商法に徹したればこそ、伊勢屋は江戸の経済の中心になれたのであろう。
「松阪牛」は、近世の立派な松阪の顔の一つ。
兵庫・但馬系で、しかも雲出川と宮川のふたつの川にはさまれた地域で育てられた、処女牛だけにそのブランドが許されている。
今でも破られていないのが、平成元年の「松阪肉牛共進会」で優勝した『よし号』の落札価格、何と4952万円をつけた。
まさに牛肉の極上ブランドの名にふさわしい。
松阪木綿で成功した町場の豪商ばかりが松阪商人ではない。「伊勢おしろい」も松阪の誇る特産品。室町期より丹生でとれた水銀からおしろいを作り、全国に売りさばいた。
本居宣長は松阪の商屋に生まれたが、学問に熱中し、医学の修行で京都に旅立ち、そして儒学、古典、歌文等を修める。名著『古事記伝』を著す一方で、鈴の音を愛した風流人でもあった。